2017年2月20日月曜日

日本語字幕のある唯一の?イスラーム映画『The Message』

●日本語字幕のある唯一の”イスラーム映画”




The Messageは1976年の映画。
神(سبحان و تعالٰی)からの啓示から迫害、移住(ヒジュラ)、戦闘を経てメッカに凱旋するまでが描かれています。

イスラーム圏の生活や考え方が出てくる映画はあれど、イスラームの史実を描いた映画は少なくとも日本で見られるものは他にはないのではないでしょうか。

3時間に及ぶ映画ですが、Wikiによると、吹き替えでは不十分だとして英語とアラビア語版を同時進行で撮影したらしいです。すごい。

イスラームの真実を伝えることは西欧に住むムスリムであり、映画監督である自分の義務だと感じたことからこの映画を製作したそうです。
同時に商業目的ではないことを示すため脚本のすべてのページをスンナ派の最高教育機関と言われるアズハル大学に見てもらい、シーア派の権威にも認められたそうです。

また、ムスリムの感情や規範を尊重するため、この映画では預言者ムハンマド (ﷺ 彼に平安あれ ) の姿は出てきません。

残念ながら監督は2005年のアンマン自爆テロに巻き込まれ、亡くなってしまいました。
十時軍と戦ったクルド人イスラーム指導者、サラディンの映画を作り始めていた時だったそうです。とても残念ですね。。

若者が支持した新しい動きとしてのイスラーム、当時のアラビア半島の一部での慣習であった嬰児殺しを禁止したことの重要性、迫害への抵抗としての武力行使、メッカへの凱旋など、映画の内容は本編を見ていただければと思いますが、印象的だった登場人物やシーンをご紹介します(若干ネタバレ?があります)。

●奴隷出身のビラル


イスラームにはその最初期から黒人の改宗者がいました。
元々メッカの商人の奴隷として働かされていたビラルです。

彼は鞭打たれながらも決して信仰を捨てませんでした。



自分が西アフリカで出会った人たちもビラルのことを尊敬していたことを思い出しました。

-世界初の肉声でのアザーン


イスラーム圏では礼拝の時間になると、モスクから「アザーン(礼拝への呼びかけ)」が聞こえてきます。アザーンが聞こえてくると「おしゃべりしてはいけないよ」と言われたり、礼拝へ向けて気持ちがシュッとします。

このアザーンを初めて行なったのが、ビラルだといわれています。礼拝の合図は太鼓やキリスト教的な鐘、ユダヤ教的な角笛などの案があったようですが、人の声で行われることになりました。スピーカーやマイクは使われるものの、今日に至るまで録音ではなく、ライブでのアザーンが続いています。



ビラルによる最初のアザーン。



感動しました。


●メッカの統治者との対立、戦闘、凱旋


当時のメッカの統治者ブソフィヤンを始め権力者は多神教が祀られていたカアバ神殿や商業の管理を通じて利益を得ていたようです。

イスラーム教徒を迫害する権力者との戦闘の後、10年間の平和協定を結んでいたにもかかわらず、ある日イスラーム教徒達が闇討ちにあいます。

その結果、統治者ブソフィヤンも命を狙われるようになります。

「俺はメッカだ、メッカの統治者だぞ。なぜ侮辱される」
「約束も誓いも破るからだ」

先日の記事にもあったようなイスラームにおける「言葉を守ること」の規範がここに表れています。



要所要所で重要な役割を果たすビラル。

メッカへの凱旋後のアザーンもやはりビラルが行いました。



●最期のメッセージ

映画のラストは預言者ムハンマド (彼に平安あれ)の最期のメッセージ。

「皆よく聞くがよい。私の命はあと僅かだ。弱き者達よ、食物、着物で贅沢をするな。そうすれば神はあなたを迎えて下さる。」
「あなた方はアダムの子。偉大な神を崇える者。」
「イスラム教徒は皆同胞だ。我々には種族も部族もない。」




西欧とイスラームの架け橋とするべく、批判されながらも制作を成し遂げたThe message。
公開から40年経った今、ますます深まりつつある両者の分断を超えていくためにもその重要性はますます大きなものとなっているのではないでしょうか。

映画としても古臭くなく、とても面白いです。



【予告編(英語)】
The new trailer for "The Message" (1977), a historical epic directed and produced by Moustapha Akkad and starring Anthony Quinn, which chronicles the life of the prophet Mohammed and the birth of Islam.



2017年2月14日火曜日

「嘘をついた?」イラン映画『別離』:イスラームにおける嘘 

●『別離』嘘をめぐる葛藤


『別離』は2011年のイラン映画。第61回ベルリン国際映画祭のコンペティション部門に出品され、最高賞である金熊賞と、女優賞、男優賞の2つの銀熊賞の計3部門で受賞(Wikiより)。

アルツハイマーの父を介護する、比較的裕福そうな銀行員ナデルとそこへ働きに来た女性ラジエー。
両者の間に起きたあることが原因で、それぞれの家族を巻き込みながら裁判で争うことに・・・

イスラームが前面に押し出された映画ではありませんが、根底にはイスラーム的な規範があり、場面場面でその規範が重要となります。

特に「嘘」をめぐる人々の捉え方。


訴えられたナデルは自分に有利に裁判を進めようと嘘をついたことを娘に見透かされる。
その一方で訴えた側の貧しいラジエーとその夫もまた、裁判の示談金を受け取るか、裁判でついた嘘(といっても確信が持てない証言)を取るか、という選択肢を迫られる。


(写真は本編から引用 (C) 2009 Asghar Farhadi)

その葛藤や結果は是非本編でご覧ください。

●イスラームにおける嘘


目先の利益か小さな嘘か。
『別離』で見られる「嘘」をめぐる葛藤はイスラームに限らず一般的によくあることだと思います。

ただ、映画の中でもその「嘘」が目先のことのみならず家族にまで及ぶ「罪」や「天罰が下る」とされているように、イスラームでは「嘘をつかないこと」は単なる「個人の道徳」にとどまりません。

イスラームにおける「嘘」についてIslamReligion.comでは次のように説明されています。

イスラームでは、嘘をつくことは重大な悪であると見なします。神はクルアーンの中でこのように述べています。 
“またあなたは、自分の知識のないことに従って(言って)はならない。”(クルアーン17:36)
預言者(神の慈悲と祝福あれ)は常に正直であることの重要性と、習慣的な嘘の重大性について強調しています。「正直さは敬虔さに、敬虔さは楽園へとつながります。人は神によって正直者であると記されるまで正直でなければなりません。嘘をつくことは逸脱につながり、逸脱は火獄につながります。人は神によって嘘つきであると記されるまで、嘘をつくものです。3  
出典: IslamReligion.com http://www.islamreligion.com/jp/articles/26/

「嘘」は現世だけではなく「火獄」という来世の罰にもつながる「重大な悪」であることがわかります。

このような嘘にまつわる規範は普段の人間関係にとどまりません。イスラーム学者の中田考さんは、政治的に敵対する相手との関係においても、「自らの言葉を守る」限りにおいては、対話することが可能であると述べています。
 イスラームはイスラームを絶対的真理、異教徒を価値観を共有しない敵と見做すが、さりとて、その価値観を共有しない敵を対話の成立せず共存が不可能な人外の存在と考え悪魔化することもない。
 むしろ、イスラームは、人が人である限り、つまり「言葉を話す存在」としての言語の内的ルール、「自らの言葉を守る(言葉の意味論的、語用論的、統語論的意味に忠実に約束を履行する)」という条件さえ満たす限り、対話による共存の道が開けている、と考えるのであり、それがイスラーム国際法の考え方なのである。  
出典:
中田考BLOG「イスラームにおける救済の境界と異教徒との共存」 http://hassankonakata.blogspot.jp/2016/11/blog-post.html 
(異教徒を敵とみなす、というのは中田先生らしい極端な表現ですね・・・)

私的な関係から国際的 ・政治的関係に至るまで、イスラームにおいて「嘘」は忌避されるもの、という規範が徹底されている。


実際にムスリム同士の日常会話の中でもしばしば「嘘はいけない」と言います。

映画『別離』では、登場人物の葛藤や感情から日常生活での「嘘」をめぐる規範が実感できると思います。


「誰が悪い」わけでもないどうしようもない苦しみや哀しみにあふれるとてもいい映画でした。


【『別離』予告編】

イラン人夫婦に訪れる危機を軸に、人間の複雑な心理と共に社会問題をも浮き彫りにし、ベルリン国際映画祭金熊賞などを受賞した人間ドラマ。『彼女が消えた浜辺』のイラン映画界の異才、アスガー・ファルハディがメガホンを取り、濃密ながら壊れやすい家族の関係を繊細に映し出す。娘のために外国への移住を決断する妻をレイラ・ハタミが、父親の介護のためにイランに残りたい夫をペイマン・モアディが好演。波乱含みの様相にさらなる秘密とうそが絡み合い、スリリングに転がっていく展開に心を奪われる。
http://www.cinematoday.jp/movie/T0012179
配給: マジックアワー、ドマ
オフィシャルサイトhttp://www.betsuri.com (C) 2009 Asghar Farhadi


2017年2月4日土曜日

「戦士でいるために銃を撃つ必要はない」 ナシード " Like a Soldier " Muslim Belal

" Like a Soldier " Muslim Belal 

「何と言われようと俺は戦士だ」
「立ち上がり神に祈る/30日の断食をする/喜捨をする」
「戦士でいるために銃を撃つ必要はない」
「戦士でいるために爆弾を落とす必要ない」



武力ではなく、信仰・実践によって戦う、ジハード・アクバル(大ジハード)の精神を感じます。

2017年2月2日木曜日

刑務所でのイスラームとの出会いからメッカ巡礼、最期の演説まで『マルコムX』 

マルコムX( 出生名:マルコム・リトル 、ムスリム名:エル・ハジ・マリク・エル・シャバーズ)の自伝に基づく映画。

チンピラからNation of Islam(イスラムの国)のカリスマ的な説教師へ、やがて独立しハッジ(メッカ巡礼)を経てイスラーム信仰によってアメリカの人種差別を克服しようと試みるが…

「人種差別はアメリカを滅ぼす。若い世代はその方向に気づき、魂の道に真実を求め始めるだろう」

トランプ政権下の今だからこそ重要なメッセージですね。


暴力的なイメージがまとわりがちなマルコムですが、自分の死を予期しながらも正しさを求める姿に、ソクラテスのような信念と潔さを感じました。



(画像は本編から引用)

【予告編(英語)】

配給  アメリカ:ワーナー・ブラザース
日本:日本ビクター(提供)/UIP
公開 アメリカ:1992年11月18日
日本:1993年2月20日

2017年1月31日火曜日

池内恵「近代ジハード論の系譜学」

映画『パラダイス・ナウ』で出てきた「モラルの戦い」とも通じるところですが、個人的には西アフリカで出会った、武力ではなく知識や信仰によって自分自身と戦う「大ジハード」論に共感します。が、この論文では「大ジハード」論を含む「ジハード回避論」では武力的な「ジハード実行論」を退ける論拠にならないことが述べられていて、困っています。それでも何かできることはあるのではないか、と思いつつまだ読み込めていないのでまずは目次を、、

池内恵「近代ジハード論の系譜学
一.コーランとイスラーム法学におけるジハード概念 
(1)コーランにおけるジハードと戦闘 (2)ハディースにおけるジハードと戦闘(3)イスラーム法学による体系化---ナスフ理論による段階発展説(4)集団義務と個人義務(5)イスラーム的国際法(6)「大ジハード論」の展開
二.近代化論者によるジハード回避論 
(1)防衛ジハード論 (2)ナスフ学説の批判
三.原理主義者によるジハード実行論 
(1)近代の知識人とウラマーによる西洋への従属を批判(2)古典イスラーム法学への回帰(3)ナスフ学説の再確認(4)「防衛」概念の拡大(5)大ジハード論批判
四.政治的分極化と理論的共鳴---ジレンマの根源


https://www.jstage.jst.go.jp/article/kokusaiseiji/2014/175/2014_175_115/_article

若者はなぜ自爆に向かうのか?映画『パラダイス・ナウ』

パレスチナに住む自動車整備場で働く若者。
家族に起こった不幸が原因で長年屈辱を強いられてきた彼は、友人とともにある作戦に参加しようとする。

かつて殉教した英雄の娘は彼らの説得を試みます。


(本編より引用)

彼女は、自爆ではなく「モラルの戦い」を選択することを説きます。
この説得の結果は、、?
彼らの葛藤とは?

是非本編でご覧ください。(TUTAYAで借りられます)

配給:UPLINK